思ったことを認(したた)めるブログ

日々暮らす中で思った、ちらしの裏に書くようなことを書いていきます。

うちのGarmin235Jくんが何かおかしい話

なにかおかしい。なんとなく、そんな気がした。
この前、といっても3月いっぱいですが、ニコニコ動画で一挙無料公開されていたので見直していたハルヒの話題回(達)から冒頭の台詞を引っ張ってきていますが、最近、愛用腕時計のGarmin235Jくんの調子がどうもおかしいので、同様の現象に悩まされている方、もしくはそれを克服された方がいれば色々教えていただきたいなということで今回のエントリを書いています。もっとも、買ってすでに3年半ほど経っているので、ある程度の劣化は仕方ないのかもしれませんが。とはいえ、高性能な腕時計を使うのは今回が初めてなので、寿命がどれくらいかもよくわかっていません。
冒頭から書いている通り、使っているのはGarmin235Jというモデルで、GPS機能と心拍数を測る機能がついています。買ってから3年半ほどになるのですが、昨年ごろ?あたりから少し気になる現象が起き始めました。

1.電池の減りが異常に早い

いつもランニングをしなければ(GPS機能を使わなければ)1週間ほど電池が持つのですが、月に1度程度、電池の減りが異常に早い時がありました。その時は、「まぁそんなものか」と思っていたのですが、そのうちその他の機能にも影響が出ているのでは、と気づき始めました。
2.Bluetooth接続ができない
これが一番イライラしますかね。何度やってもBluetoothの接続がうまくいきません。iPhone側のBluetoothをつけたり消したりしても、また一緒に使っているiPadに接続しようとしてみても全然繋がりません。これがかなりイライラします。何度設定をチェックしても問題ないのに何でつながらないんだ!!!と。そこで、時計の方を再起動しようとすると、そこでまたイライラすることが。

3.電源を落とすのにやたらと時間がかかる
2.と並んでめちゃくちゃむかつくのがコレです。電源ボタンを長押し→電源を切るという正式な手順を踏んで電源を落とすのですが、いつもはすうびょうででんげんがおちるところ、上記の1.2.の問題が出ているときには大体電源を落とすまでにめちゃくちゃ時間がかかります。またこれもすごいイライラしてしまい、途中で電源ボタン長押しで強制的に電源を落とすのですが、そうすると次に立ち上げた時には時間が狂って起動されてしまいます。そこでGPSを拾って時間を補正するのですが、これにまた時間がかかる。最近は「2分ほど待つ」という高等技術を覚えたのでその問題はありませんが、相変わらず電源が落ちるのには時間がかかっています。

初期の段階で気づいた問題はこの3つでしょうか。それまでに時計でやったことといえば、定期的に来る更新プログラムの適用と、Garmin Connectで提供されているいくつかのアプリをダウンロードしたことでしょうか。ただ、継続的に使っていたのは1.の問題をモニターするためのバッテリーモニターくらいでしょうか。そのほかはほとんど使う機会すらなかったので、すぐにアンインストールしましたし、バッテリーモニターもすぐ意味がないことに気付いて今では削除しています。

そんなこんなで今年の頭くらいまで過ごしていたのですが、最近新たな問題2つ、それもいつも同時に起きていることに気づきました。この現象も前から起きていたのかもしれませんが…。ちなみに、3.に気付いてから4.が発生するまでにも特にアプリをダウンロードしたとかそういうのは記憶にありません。

4.なぜか心拍数がかなり低めに算出される
私の心肺能力は雑魚すぎるので、ワークアウトの時は基本的にいつも平均心拍数が170くらい、最大心拍数が190〜200くらいまで上がる(ちなみにフルマラソンを走ってもこの傾向はあまり変わりありません。どうなってんだ…)のですが、何故か平均心拍数160以下、最大心拍数も170前後という状態でカウントされている時が最近増えてきました。別にそれを目標にしているわけではないのですが、Garmin Connectでは1週間の運動量をモニターする機能?があり、ワークアウトを行ったらその分カウントされるはずが、謎に心拍数が低くてカウントされないという現象が起きています。その結果、目標に届かなかったりすると結構イラっと来ちゃいます。また、先に書いた通り、この問題が起こるときにはもう一つの問題が起きています。

5.なぜかピッチ数が離散的になっている
こんなことを書くと難しそうに聞こえますが、データを見ていただくと一目瞭然です。
普通の時はこんな感じ↓
f:id:proffe:20200417234331j:image

調子が悪い時はこんな感じ↓
f:id:proffe:20200417234402j:image

いや、まずピッチ0でどうやって移動するんだよ…。
そんなこまかくみるひつようねぇだろ、とお思いの方がおられるかと思いますし、私も最初はそう思っていたのですが、最近ピッチとストライドを意識してトレーニングを行っているので、この辺りの指標が正しく出てもらわないとトレーニングの成果を評価できないのです。
Garmin Connectを利用されている方はわりといるかと思いますが、Garmin Sportsというアプリもあり、そちらではストライド長も算出してくれるのですが、ピッチが正しく算出されないとストライドも正しく算出してくれません。
f:id:proffe:20200417235045j:image
しかも厄介なのが、最近この4.5.の問題に気付いてリセットしようとすると、なぜかすんなり電源が落ちたり、そもそも急激な電池の減りが無くなったりと、以前あった問題がなぜか起きない時があるのです(もちろん同時に起きることもある)。もうなにがなんだか…。普段のワークアウトならまぁいいのですが、レース本番でこういう事態に陥ったらヒステリー起こしそうです…。

睡眠のモニターとかもしてくれるので、お客さんと会う時以外はほぼいつもこの時計をつけているのですが、そろそろ買い替えの時期なんですかね。お金もなく、コロナ禍で外出自粛が求められているなか、買わなあかんのか?という話でもあるのですが。。。
というか、もともとこんな高性能な商品でなくても十分に満足していたのに、この水準に慣れてしまうと不満に思うレベルがさがってしまう、すなわち以前書いたように「幸せのハードル」が知らず知らずのうちにあがっていることに嫌気がさしますね。どこかの誰かが言った、「文明は後戻りできない」という言葉が身にしみます。

ということで今回の記事はここまで。珍しく?ネガティブな記事ですが、愛用しているからこそ期待に応えて欲しい、ということで。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

東尋坊 愛のマラニック中止の話

久しぶりにウルトラマラソンの話をば。書いていないだけでちゃんと走ってるのだろうか、と思われる方もいるかもしれませんが、実際あんまり走れていないので書くことがないという話でもあったりするのですが。。。

さて、タイトルの通り今年の愛のマラニックに参戦予定でしたが、残念ながら中止となってしまいました。そもそも愛のマラニックってなんぞや、という話は調べていただいたらわかるかと思うのですが笑、今回出場を予定していたのは福井で開催される100km越えのウルトラマラソンです。私は100kmは一昨年の京丹後のレース(100km)を70km近くの地点でリタイヤ、昨年の鯖街道ウルトラマラソン(トレイル区間ありの72km)を割とギリギリでゴールしております。自分の中ではトレイルといったコースのアップダウンよりも、暑さ耐性の無さがネックになっていると考えおり、鯖街道ウルトラマラソンもそうだったので5月下旬ならギリギリ走れるかもと考え、この大会に100kmのリベンジを果たしたいとエントリーをしていました。実際には去年は酷暑だったそうですが…

yypark.comwww.r-wellness.com

www.kyoto-triathlon.com


4月頭頃から開催が微妙そうだな、と思って公式ホームページなんかも覗きに行っていたのですが、むしろその頃はエイドステーションでの給水は各自のコップにするなどの対応を取ることで「なんとしても実施したい」というメッセージを感じていました。しかし、その少し後にその文章は消えており、さらにその数日後、確か非常事態宣言が出たくらいのタイミングだったと思いますがホームページ上で開催中止のアナウンスが。まぁ残念は残念なのですが、事務局の方の判断を尊重しますし、私自身としても英断だったと思います。
判断そのものよりも、その後の対応に「速さ」が非常に好感が持てました。確かに、もうちょっと「早く」から匂わせておいてもよかったんじゃ…とは思っていたのですが、中止の決定からの動きの速さがすごく、HPで中止を発表された次の日にははがきで中止連絡がきて、さらに「参加費の一部はQUOカードで返金します」ということも書いてありました。大会実施まで日にちがあった分、返金対応できる余裕があったのかもしれませんが、東京マラソンの問題なんかもあったなかで、迅速に対応いただいた事務局の皆さんには頭が下がります。大会そのものでなく、こういった対応でも大会の価値というのは大きく変わるんだろうな、という新たな気づきを得ることができました。
f:id:proffe:20200413081350j:image

今年一番の目標であったウルトラマラソンが飛んだことは残念ですが、事務局の皆さんの尽力に感謝するとともに、来年以降、改めて参加させていただきたいと思います。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

お金を使わず仕組みを変える(定期2枚持ちのテクニック)

4月に入って新生活、というわけにもいかない今年の春。もちろんコロナウイルスで、入社したと思ったら自宅待機が命じられたり、あるいはひどい話だと内定取り消しなんかいう話も聞きますね。私自身、転職したのが昨年の秋で、以前の記事で書いたとおりとても安定した職場からベンチャー気質の職場に転職しており、結構失敗したなと思ったりするのですが、裏を返してみればタイミングが遅れていたら転職に踏み切ろう、新しいステージに上がろうと思わなかったと思うので、そういう意味では「ここしかない」というタイミングで転職できたとも言えるかも知れません。なにより、転職時に1人で欧州を回ることができたのはコロナ禍前だったことを考えると、人生は巡り合わせなんだろうなという思いを強くしました。マクラでこんな話をしているのですが、今日書きたい話はそういう話じゃなかったです。笑
今日は、何か課題を解決しようと思った時に「新しく何かを買う」であったり、「新しく投資をする」ということでなく、現状の仕組みを変えることで課題を解決出来るんじゃないか、というお話です。マクラで新生活の話をしたのは4月だから、というわけではなく、今日書く記事は自分自身の昨秋から始まっている生活でヒントを得たからです。

1枚の定期券利用から2枚の定期券利用へ
前職の時にはA鉄道会社のみを使って通勤していたのが、今の会社へ行くにはA鉄道会社からB鉄道会社に乗り換えて通勤しなければならなくなりました。元々、一つの鉄道会社しか使っていなかったわけですから、定期入れは1つだけで事足りていたのですが、この度2枚の定期券を持つようになりました。そこで、1枚(A鉄道会社)は定期入れに、もう1枚(B鉄道会社)は名刺入れに入れて、2社の定期券を使い分けることにしました。
そうすると、2枚の利用がごっちゃになってしまうことが多く、特にB社の改札を抜ける時にA社の定期券をかざしてしまい、改札で「間違えました」と申告して処理をしてもらうことが増えました。ただ、この問題はストレスになり、駅員さんの手間もとってしまいますが、実際に私が金銭的な損失を被るわけではないので別に構わないと言えば構わないのです。問題はもう一つ、それも金銭的に損失を被るものです。

f:id:proffe:20200413000155p:plain

定期持ち旧体制

問題は片方の定期券を忘れてしまうこと
社会人としてあるまじきことだと思うのですが、私は名刺入れを持っていくことを忘れることが結構あります。前職時代はオフィスワークがほとんどで、名刺入れを忘れても特に問題はなかったですし、そういう自分の特性を踏まえて予備の名刺入れを常に鞄に入れていたので、営業職になった今でもその点では被害はないのです。
問題は「名刺入れ」ではなく、「名刺入れに入れた定期券」を忘れてしまうことです。A社の電車を降り、B社の電車に乗り換えるタイミングで名刺入れを取り出そうとしてないことに気づき、定期代を払っているにもかかわらずわざわざお金を払って電車に乗るというのは、安月給にサラリーマンにとっては結構な痛手、やっすい朝ごはん1回分くらいを持っていかれるわけです。

お金を使わず仕組みを変えて課題を解決
こういったことは多分ありふれたことだと思いますし、実際スキミング対策用のカードみたいなものを使って一つの定期入れで2枚を使い分けている人もいるかと思いますが、なんとなくそのために新しくお金を払うのも、、、と思ってしまうドケチな私。そこで、もう一度自分自身の癖や環境について改めて整理してみました。

  • 基本的に定期入れは絶対忘れない。財布と一緒に持ち運びしているし、前職時代から4年近く常に携帯しているので、もはや癖と化している。
  • 反対に、名刺入れは結構忘れることがある。スーツの内ポケットに入れているため、毎日スーツを脱ぐ際に覚えていたらちゃんと片付けているが、酔って帰ってきた時、くたくたになって帰ってきた時に入れっぱなしにして、翌朝忘れて出社してしまうことがある。
  • 家からA社の駅までは歩いて数分で、忘れても取りに帰ることができる。

この3点を踏まえた上で、私は新しいものを買うのではなく、仕組みを変えることで課題を解決出来るのではないか、と思い至ったのです。
それは、元々定期入れに入れていたA社の定期券を名刺入れに、元々名刺入れに入れていたB社の定期券を定期入れに入れるということです。まず、私は定期券は忘れない、という特性があるので、これまで忘れがちだったB社の定期券を忘れずもっていくように定期入れに入れ、元々定期入れに入れていたA社の定期を名刺入れに入れることにしました。これによって、まずB社の定期券を忘れないようにすることができると考えました。

f:id:proffe:20200413000230p:plain

定期持ち新体制



一方で、名刺入れを忘れやすい、すなわちA社の定期券を持っていくことを忘れる可能性は上がるわけです。しかし、自宅からA社の駅までに距離は非常に近く、忘れ物をしても取りに帰ることができます。すなわち、名刺入れを忘れたとしてもA社の駅に乗るタイミングで自分が名刺入れを忘れたことに気づき、すぐに取りに帰ることができるというわけですね。
元々A社しか使っておらず、その時の癖で定期券にはA社の定期券を入れていたのですが、考えてみれば定期入れにA社の定期を入れなければならない、なんてルールはなかったわけです。

これまでの既成概念を疑う
新しい環境に移る際には、こういった既成概念を一度とっぱらって、抱えている課題に対してもう一度まっさらな視点から物事を考えることが必要なんだな、という気づきを得た出来事でした。そういう意味で、コロナの影響でテレワークが見直されているというのは非常に喜ばしいことだと思います。もっとも、「見直す」というよりも、この気に「強制的にテレワークに移行せざるを得ない」なかでこれまで渋ってきた会社のお偉方が考えを改めざるを得なかった、ということでもあるんでしょうけどね。個人的には、コロナ後に「テレワークでも生産性は上がらなかった」と以前の就業体制に戻ってしまうことを懸念しています。そりゃコロナ禍だったら普通に仕事しててもどう考えても生産性(≒時間あたりの収益?)は下がるわけで、これまでの「見せかけの好景気下の生産性」と「どん底まで経済活動が滞った状況下の生産性」を比べれば前者の方が高いのは目に見えており、それをもとに「やっぱりテレワークはダメだ」なんてならないことを切に祈ります。
最後に話が脱線してしまいましたが本日はここまで。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

エンゲル係数は本当に貧しさの指標か?

前回、幸せの話をしたので今回もそれに紐づいたお話を書こうと思います。具体的には、誰しも同じことをしていても、人によってその捉え方が違えば「最低限やるべきこと」なのか、あるいは「その行為を通じて幸せを得られること」なのか、大きく違ってきますよね、というお話です。

貧しさの指標、エンゲル係数
エンゲル係数とは、家計の消費支出に占める食費の割合のことということは割と有名で、ご存知の方も多いと思います。この値が大きいと、消費支出に占める食費の割合が大きい、すなわち食費が家計を圧迫していて貧乏だという捉え方をする方が多いのではないでしょうか。
この考え方において重要な点は、食事が『生命維持において』食事を節約することは、その他嗜好品などに費やすお金を節約することに比べて困難である、という点だと考えます。すなわち、食事=生命維持であるという考えではないでしょうか。生命維持という観点では、衣食住が重要視されると思いますが、衣は常識の範囲内で極限までコストカットできるものの、食は前述の通りギリギリまでのコストカットは難しく、また住まいも家賃を極端に減らすことは難しい、もしくはそれに伴って著しくQOLが下がってしまい、結果として生活コストを高めてしまう危険性があると思います。

そもそも食は生命維持のための行為なのか?
もちろん、食べなければ生きていけることはできませんので、最低限の食事を取る必要はあります。ですので、1ヶ月1万円生活でもないですが、食費は最低でも月にいくら以上必要、みたいな指標はあると思いますし、実際に調べてみても各年代の平均的なエンゲル係数はすぐにヒットします。
しかし、考えてみてください。皆さんは食事を「生命維持に最低限必要な行為」ととらえて行っているでしょうか?決してそんなことはないのではないでしょうか。お昼ご飯を食べに行くときにはネットで美味しいお店を探すし、デートに行くときは雰囲気のいいお洒落なお店を探して窓際の席を予約したり、はたまた糖質ダイエットをしているからとプラス料金を払ってご飯を豆腐に変えてもらったりと、食事を「生命維持に最低限必要な行為」ととらえていればなんと非合理的なことをしているのか、と思いませんか?上の話で言えば、食事はただ栄養を取るという行為ではなく、人によって楽しみやコミュニケーション、はたまた自己研鑽につながるような意味をも持つ行為ではないでしょうか。
そう考えると、一概にエンゲル係数を貧乏さを測る指標とするのはおかしいということに気づくのではないでしょうか。例えば、最低限命を維持するためにかかる食費が2万円だったとして、人付き合いのために使う食事代が1万円、月に一回のご褒美ディナーが1万円とすると、2万円は生命維持ではなく余分に払っている食費ということになります(もっとも、付き合いでの食事代は交際費とカウントする人もいるかと思いますが)。逆に、食費は最低限の2万円しか使わず、本がとても好きで月に2万円分も本を買ってしまう人もいると思います。昔そんな公務員アニメがありましたね…。その場合、エンゲル係数で比較すると前者の方が貧乏と判定されかねませんが、中身を見てみると決して一概にそうとは言えない、ということがわかるのではないでしょうか。
この辺りは以前書いた、ランキングの話にも似ていて、どういう構造でそのデータが算出されているのか?を知っておかなければミスリードになる、というお話にもなりますね。

余談:貧乏人は痩せている?
余談ですが、今時の貧乏な人は一昔前みたいなひょろひょろの人という一様なイメージではなく、安価でお腹いっぱい食べられるものを食べているからむしろ太った人なのではないか、と考える人もいるのではないでしょうか。アメリカ人に肥満が多いのは食文化だけではなく、そういった側面もあるのではないかと思いますし、日本で暮らしていても牛丼チェーンの安い牛丼はお米がこんもりもられていて、いかにも糖質過多な食事ではないかと感じています。
反対に、糖質制限をはじめとしてダイエットに勤しむ方はただ食費が減るというのではなく、これまで摂取してきた安い炭水化物をその他に転化させているだけであって、むしろ食費が増えているのではないでしょうか。というか、これは完全に自分自身の経験からの話で、本筋で話していた「ご飯を豆腐に変えると金がかかる」というのは意外に大きい出費になってるんですよね。牛丼買えば安いのにライザップ牛丼、牛丼ライトを頼んじゃったり。

まとめ

ということで、個人的にタイトルの疑問に対する答えはNoです。なぜならば、食事は「生命維持に最低限必要な行為」だけではなく、「楽しみやコミュニケーションとしての行為、すなわち嗜好品的な価値も含む行為」であるため、食費だけをもってして貧乏か否かの指標にするにはあんまりではないか、と考えているからです。
食事という行為に限らず、日頃の行動や購買活動は自分でも気付いていない意外な意味があったりするのではないでしょうか。そういったところをくすぐれるマーケティングが今流行の(?)消費者インサイトを見抜いたマーケティングと言えるのかもしれませんね。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

幸せのハードルを下げる

気がついたら3月も終わりかけなのに記事を全然書いておらず…。特段忙しかったわけでもないと思うのですが、まぁ色々と忙しかったのかもしれません。ということで、3月2本目の記事。今回は、タイトルの通り、「幸せに感じるハードルを下げたらもっと幸せになれるんじゃねえか」というお話をば。

何に幸せを感じるか
現代の人は常にストレスに晒されていて、特に日本は幸福度の低い国と言われますよね。そんなグローバルな視点でなくても、昔友人だったあいつは楽しそうなのに、とか、あいつは俺の何倍も給料をもらっていて、とか、はたまたあいつはもう結婚して子供もいて、なんて他社と比べて自分の不幸(不徳?)を嘆く人が多いのではないでしょうか。かくいう自分もそんな気持ちになることなんていくらでもあるのですが。でも、これも以前の記事で書いた通り、例えば「年収」という物差しであったり、「友人、配偶者の数」であったり、そういった指標の中で勝手に幸せを定義をして、それに応じてランキングをつけているだけなんですよね。結局、そんなふうにランキング付けしていっても自分は絶対一位にはなれないし、自分の人生の幸福度が「収入」「友達の数」なんていう指標ではかられるようになってしまうと、その指標に振り回されるような人生になってしまうのではないでしょうか。
もちろん、その指標を持って生きていくことは何にも否定されるべきことではありません。少し幸せから話はズレますが、勝負する土俵を変えればいいのです。例えば、東進の林修先生は自分はジャニーズには入れないが、現代文の先生としてならトップになれると考えて実際にトップ講師に上りつめ、一発屋として終わらずに今でもテレビに出ておられるし、確か武井壮さんだったと思いますが、サッカーではサッカー選手に勝てないし、野球では野球選手には勝てないけど、自分で勝負する種目を選べるならどのアスリートにも負けない、といった旨の発言を(確か)されていて、実際に野球やゴルフだけでなく、ビリヤードなど様々なスポーツに挑戦されております。そのように、自分の特性に応じて勝算の高い分野で勝負する、というのは立派な戦略だと思います。

自分なりの幸せの指標を見つける
でも私は彼らのように才能があるわけではないし…とおっしゃる方、まったく持ってその通りです。才能の有無もそうですが、そういった能力を身につけるには途方もない努力が必要となってきます。もちろんその努力ができる人なら挑戦すればいいですが、それで燃え尽きてしまっては本末転倒です。では、なぜ私が上記の例を出したのか。それは、「フィールドを自分で選べる」という点が重要なのです。自分の幸せの指標くらい自分で決めろ、という話です。いくら年収でマウントを取られたり、所帯持ちが幸せという価値観を押し付けられたところで、自分の中で「これがあれば、これを達成できれば幸せ」という指標を作ればいいだけの話です。そして、それは決してレベルの高い幸せではなく、「今日は信号に止まらず駅まで行けた」とか、「今日は寄り道せずに浪費もせずにまっすぐ家に帰ってこられた」とか、そんな小さなことでも幸せに感じることができれば世間の幸せのマウント取り合戦から離れて、自分なりの幸せをつかむことができるのではないでしょうか。
こんなに偉そうに話をしていますが、私自身も周りの人の会社の待遇の良さや他の人の才能や人柄に嫉妬することももちろん多々あります。人間は社会的な生き物である以上、他者との比較の上で自己を評価するものですので致し方ない時もあると思います。そんなときにこそ、「卵焼きが上手に焼けた」とか、「そもそも自分で料理するなんて天才かな?」なんて自分で勝手に幸せを定義しちゃうことで、自分自身を騙すように意識しています。そういった考え方をするのがとても上手なのがTwitterで活躍されている「プロ奢ラレヤー」さんだと思います(彼を批判する人も多々いますが、実際に彼に奢ることに価値を感じる人がいるわけなので何一つ批判されるものはないと私自身は思っています)。彼はよく舐め腐ったように感じる口調で色々発信をしますが笑、その中身は大体「現実大肯定」で、「起きて寝てえらい」「それだけでなく、出勤までしてすごすぎる」といったようなことを発信しています。彼が大好きなキャラクターのコウペンちゃんも、「かわいい」という理由だけでなく、彼と同じく現実大肯定のスタンスを持っているからなのではないか、と思っています。

「隕石が降ってこなくて本当ついてた」
こんな考えを至るのに大きな影響があったのが「あんハピ♪」というアニメだったと思います。とにかく不幸体質の主人公を中心に色々ある作品なのですが(ストーリー自体はあまり覚えていない笑)、その主人公は全くその不幸を嘆くことなく、むしろ楽観的に物事を捉えるのですが、その様子にとても元気をもらった記憶があります。その主人公のキャラソンで出てくる歌詞が、「隕石が降ってこなくて本当ついてた」。いやいや、不幸の比較対象がおかしくない?!と思ったのですが、主人公の幸せの価値観の置き方がそこにある以上、彼女にとっては隕石が落ちてこないだけで幸せなわけですね。彼女は不幸体質ということで、数多くの不幸に見舞われてきたことで、ちょっとやそっとの不幸は不幸と思わず、むしろちょっとしたことにもラッキーを感じるわけですね。大体成功者の人たちが幸せを感じやすいのは、実際に金銭や名誉を得ているということもあるでしょうが、そこに至るまでに経験した不幸やアンラッキーがあるからこそ、ちょっとしたことにも幸せを感じるからなのかなぁなんてこの記事を書きながら考えていました。

 

ということです(どういうことや)。私は意識低めを地でいくので、自分で勝手に幸せを定義して、勝手に幸せになれるように頑張ります。もちろん他の人に迷惑をかけないレベルで。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

味方を作ってマーケティング

今時、SNSが発達する中で、お店選びの方法も変わってきているのではないでしょうか。そんな中で、今の時代に適したマーケティング戦略は、タイトルの通り「味方を作る」マーケティングではないでしょうか、というのが今日のお話です。特に今回は誰でもイメージしやすい、飲食店を例にしていきたいと思います。

画一的な情報源から多元的な情報源へ(全体論
昔はみんなが同じテレビ番組やラジオ番組を聴いていたという印象はないでしょうか。私は割と若いのでそこまでですが、その昔で言えば8時だよ!全員集合なんかを日本国民全員が見ているようなレベルだったとよく聞きます。また、ラジオなんてのもみんなが聴いていることはなかったでしょうか。どうでもいいですが、昔母親がラジオ番組にはがきを投稿する時にペンネームを使っていたのにも関わらず、本名を読まれて次の日にはクラスの全員がそのことを知っている、なんてことがあったそうです。
一方で今日ではどうでしょう。インターネットの発達により、そもそもテレビ番組を見ている人はかなり減ったのではないでしょうか。今でもドラマ番組なんかは一定数の国民がみんな見ているものだと勝手に思っていますが、昔はみんな見ていたであろうバラエティ番組、例えばエンタの神様みたいな番組ってだいぶ減ったのではないでしょうか。そもそも私はあまりテレビを見ないのですが、それでも職場の人や友人と喋っていても、「あの番組の話なんだけど…というか、あの番組見てる?」という枕詞が入っていることが増えたなぁという感覚があります。テレビですらそれなのに、インターネットともなるともっと細分化されていきます。最近では「あのYoutuberが〜」なんて会話を聞きますが、今何人Youtuberがいて、そのうちの何人を知っているんだろう、と別のところに疑問が湧いてきます。
要するに、これまでみんなが同じコンテンツ、同じ情報源を見ていたところからそれぞれ別のコンテンツ、情報源を見るように時代が変化してきているのではないでしょうか。まだまだテレビが幅を利かせている側面もある中で、テレビ番組に出たお店は次の日人がいっぱいなんていうこともよくあります。ただし、テレビは全国区の番組だと東京とか大阪の周辺のお店、京都などにある歴史のお店、そしてたまにある田舎にあるすごいお店、といったところしか紹介されないのが実情と言えると思います。そんな中で、やはりお店探しは簡単に地域を絞れるインターネットを利用することが多いのではないでしょうか。

プラットフォーマーの出現
インターネットが重要な情報源として出てきた中でも、今回の話でいう飲食店業界について言えばそれでもまだまだ一強の時代が長かったと思います。誰もが使ったことがあるであろう、「食べログ」です。今の20代後半より上の人は、食べログの評価を見てお店の良さを選んだりすることがあるのではないでしょうか。会社によっては、食べログの評価が3.5以上じゃないとダメ、なんていう縛りがあったりするという噂を聞いたことすらあります。確かに、多くのお店が登録していて、ランキングもついていてとても便利なサービスですよね。
でも、前の話にも関係しますが、そもそもあの評価がどうやって出ているかを考えたことがありますでしょうか。もちろん、口コミの評価をのせているわけですが、決してそんなうまくいく話ではないですよね。食べログのビジネスモデルを考えてみればなんとなくわかるかと思いますが、基本的に食べログはお店から広告料をもらって掲載しています。ビジネスでやっている以上、多くお金を払ってくれるお店を検索時に出やすくするのは当然ですし、全く問題ないと思うのですが、一部でよく言われているのは「印象形成を行っているのではないか」、つまりお金を多く払うお店の口コミはいいものばかりを載せ、悪いものに至っては削除しているのでは、なんていう悪評まで立っています。

www.itmedia.co.jp

他に結婚や美容、何より就職関係で大きなシェアを誇っているある会社さんなんてのは本当にこういったビジネスモデルでやっていて、すごい偉大だし利用者側としては便利なこともある反面、いざ自分がサービスを提供する側に移った時には、まずそのサービスに投資しなければ市場でも認知されない、その上多くのお金を払わないと有象無象の中に埋もれてしまう、という消耗戦を強いられる非常にしんどい状況に陥ってしまうわけですね。
(余談1)
もっとも、「評価」と「実際の味、サービス」の関係なんてかなり曖昧なんですよね。普通に考えれば実際に店を訪れた人が味、サービスを受けて、評価をつけたものが口コミ、要するに因果関係の”因”が「実際の味、サービス」で、”果”が「評価」だと感じますが、実際にそうとは限りません。Twitterでは一時期話題になっていた「ラーメンハゲ」の話はずばりそんなことを書いていましたね。ちなみに、血液型占いなんかでも同じように因果が逆になっているという話もありますので、ご興味のある方は「予言の自己成就」なんかいうワードで検索されると楽しいかもしれませんね。

(余談2)
最近は消費者のヘイトを溜めて、若干下火になっている一方でGoogle mapsの評価が次は信頼され始めているような気もします。でもこれも結局、次はGoogleで見た情報が全てになって…という結局こういう流れからは逃げられないんだろうなぁと勝手に想像しています。

新たに出てきた広告媒体、SNS
そんな中で新しく出てきたのがみなさんご存知SNSですね。最近は特にTwitterなんかで個人の投稿でお店を広告する、なんてことをかなり目にするようになりました。これは飲食関係ではなく、漫画とかそのほかのサービス関係なんかでもかなり頻繁に見られるようになったと言えると思います。
話をメインの飲食関係にすると、外国人店主(インド人のカレー屋さんが多いイメージ笑)の面白い、ほっこりするツイートとか、キャンセルで困り果てた店主の悲鳴のようなツイートが一番最初に思い浮かびます。でも、そういった広告の仕方をするべきだ、とは決して思いません。店主の属性で大きく売り出せるコンテンツ、本当に困っていることがない中で無理やりコンテンツを作ろうとしてもチグハグになってしまいます。また、漫画界隈でよくある「なんだよ、結局本人がバズ狙ってやってるだけじゃねえか」という目の向けられ方をされる可能性もあります。後ほどの話にもつながりますが、一部の客なんて放っておけばいいものの、精神衛生上よくないですしね。まぁ、Twitterなんていう魔境で過ごしている以上、絶対精神衛生上何らかの損失を受けていると個人的には思っているのですが。
そうじゃないパターンは、と言われれば間違いなくお客側からの投稿です。「こんなにすごいお店があった!」「ここのお店のこのパフェは絶対食べるべき!」なんていう投稿がバズった場合、お店側としてもやらせでやっていない以上、先ほどのような謎の責められ方をすることはありませんし、何よりその投稿をしてくれたお客さんのリピートをかなり期待できるということにもつながります。要するに、本当に本質的なところ、根本的なところに戻ってくるのですが、自分のお店のファンである人、自分の味方を作ることがSNSが流行っている今だからこそマーケティング戦略の一つとして非常に重要なのではないでしょうか。なんたって、お客さんを味方につければ宣伝費は0で、しかも手間すら0で広告できてしまうわけですからね。

お客さんを味方にするのに大事なこと2つ
そんなことわかってるんだよ、じゃあ何をすればいいんだよ!という声が聞こえてきそうですが、私個人としては2点あると思います。
1. 本質的なサービスの向上
当たり前すぎるし、地道な努力が必要なのですが、これが何より大事だと思います。なんてったって、誤魔化してお店に来てもらったところで、「やっぱりこのお店に来てよかった!」と思ってもらわなければ全く意味がないどころか、悪評を書かれて(=敵を作って)しまい、前よりも評判を落とすことになりかねません。だからこそ、一朝一夕で改善されるものではないですが、お客さんに喜んでもらえるようなサービスや商品開発、または改善を図ることが何よりも重要だと言えるでしょう。いやいや、そんなことわかってるんだよ、もっと違う話を聞かせてくれよ、という声が聞こえてきそうですね。
2. こだわりを持って、迎合しない(ターゲットを絞る)
1.よりずーっと簡単で、テクニカルチックな話がこちらです。お客さんを味方につけたい!と思っても、全てのお客さんに愛されるお店を作ろうとすると労力が半端ないですし、一定層の人は何をしたってアンチになると思います。そこで、こだわりを持つことが必要だと考えます。このこだわり、というのも2つあると思っています。
(1)商品のこだわり
例えばイタリアンのお店で、ピザ、パスタ、リゾットといった商品がある中で、全ての商品のレベルを上げようとするとそれだけ割けるリソースがなければ話になりません。そういった中で、例えば「とにかくうちはピザがメインのお店なんだ」という信念を持ってやれば、お店の宣伝にも使えますし、何よりピザの質向上に十分なリソースを割くことができるので結果としていい物が出来上がるのではないでしょうか。そこから得られた技術やノウハウをほかの料理に転用することも考えられますね(他業種や他料理に進出するのはこのパターンが多い気がします)。
(2)店の雰囲気のこだわり
そもそも料理で差別化を図るのは難しい!なんていうこともあるかもしれません。そこは飲食店としてどうなんだ、という気もしますが、そんな綺麗事ばかり言っていられない現状もあると思います。その中で、お店の雰囲気というのは差別化を図ることができる大きなポイントだと思います。昔、マクドナルドが健康志向に走って大ゴケしたときに、「そもそもマクドナルドに来る人はそんなこと志向していない」ということで従来の路線に戻したところ(それだけではないと思いますが)、V字を果たしたというのは割と有名な話ではないでしょうか。同じようなことを最近感じていて、どこのお店も「全席禁煙」にしようとしている向きがありますが、あれはむしろタバコを吸う層が多いお店にとっては全くもってもったいない流れだと思います。こんな時代だからこそ、きちっと分煙をする、もしくはもうタバコを吸わない層には我慢してもらってでも喫煙可にすれば元のお客さんを逃さないどころか、行き場を失ったほかの喫煙家を顧客として取り込める可能性が大きくあるのではないでしょうか。

こういった考えが浮かんだのも、自分自身が最近気に入っていくお店の影響があります。お店はかなり小さいし、店主の子供もよく店先で遊んだり店内でお父さん、お母さんと話したりしているのですが、商品としてコーヒーにすごいこだわりを持っていることに加えて、子供、家族を大事にするそのお店の店主、そして雰囲気に強く魅せられているから好きで通っています。きっと、コーヒーを飲む店は静かで落ち着くところがいい、という人が多くいると思いますし、全くその考えを否定するつもりはないのですが、そういった人はそのお店に行かないでしょうし、実際そのお店に来る人はだいたいみんないろんなことを喋ってますし、お店の雰囲気が気に入った人だけがそのお店に行く、というような感じになっています。

 結論:味方を作るには「店が客を選ぶ」

だらだらと書いていて自分の考えが割とまとまった気がするのですが、結論としては「店が客を選ぶ」ことがいいんじゃないか、と思いました。お客さんに選んでもらおうすると、どうしたってお店側が疲弊してしまいます。むしろ、「店側が」自分たちのこだわりをわかってくれる「客を選ぶ」ことで、コアなお客さんを味方として取り込み、そこから情報を発信してもらう、というのが今の時代何より効率的なマーケティング戦略と言えるのではないでしょうか。ただし、途中に書いた通りそもそも提供しているコンテンツが魅力的でなければ話にならないという単純な、しかしとても大きな課題が残されていることを忘れてはなりませんが…。
ちなみに言っておくと、私は飲食業のコンサルをしているわけではないので、この話は経験に基づいたものでなく、自分の妄想を書き連ねただけだということをご理解賜れれば幸甚です。

時間を買うか、手間を楽しむか

「時間は買えない」なんていう言葉がありますよね。あれ、本当にそうだと思いますか?確かに、お金を出して過ぎた時間を買い戻すことは不可能ですが、将来のお金を買うことはできるんではないか、というお話です。

結論:将来の時間はお金で買える
早速結論からなんですけど、将来の時間はお金で買えると思います。例えば東京から大阪まで行くのにみなさんはどういう交通手段を考えますでしょうか。普通の人なら飛行機か新幹線というのがまず出てきて、その後に高速バスや自家用車でひたすら高速に乗る、なんていう話が出てくると思います。また、猛者は青春18きっぷで2300円(でしたっけ?)で1日かけていく、なんていう候補も出てきますよね。時期にもよりますし、どうか知りませんが私が挙げた順番はきっと高い順だと思います。
もうこれだけでなんとなく分かったかと思いますが、お金を多く払えばその分移動時間を短くすることができ、目的地での行動時間を増やすことができるのですね。これは見方によっては「時間を買う」と言えるのではないでしょうか。以前の話に絡めて考えると、時間と同時に環境も買っていると考えられます。
飛行機や新幹線は快適な車内空間でサービスを受けられるというのはとても大きいメリットですし、移動時間中にも仕事や作業をすることが可能です。一方で、高速バスは多いのは夜行便で、移動時間は真夜中となっていることから現地での移動時間は長く確保できますが、移動中は揺れが大きく、また隣や前後の席との近さの問題もあって作業どころかまったりすることすら難しい、劣悪な環境で貴重な睡眠時間を過ごさなければならなくなります(実際、3列シートとかいいバスは新幹線とそこまで変わらない値段で販売されていたりします)。個人の体力やお財布事情、乗車時間なんかで判断を問われますが、それなりにお金を持っている人はなかなか選ばない選択肢と言えると思います。
少し様子が変わるのが自家用車での移動です。こちらは個人の空間で好き勝手にはしゃげますし、好きなタイミングでパーキングに寄ったりしながら、気の合う仲間と、あるいは1人だけで気ままな旅をすることができます。しかし、何より一番大変なのは運転を自分でしなければならないということ。ボーッとしてても目的地に着く公共交通機関と異なり、自分がなんとかしなければ目的地には着きません。そして、何かあった時には自己責任となります。そしてガソリン代やら高速代やらで結局コスパの悪い旅になるのではないでしょうか。
そして大きく毛色が異なるのが青春18きっぷ。そもそもよく知らない、という人もいるかと思いますが、ざっくりというと1日2500円弱のJR乗り放題きっぷ(販売される時は5枚分、時期は学生の長期休暇の時期に合わせてられていますが、購入は誰でも可)です。雑誌なんかでも結構特集されたりするのですが、東京⇄大阪間なんて楽勝で1日で行けます。半日(12時間)近くかかりますが。かちかちの在来線シートにひたすら座り続け、乗り換えの恐怖に怯えながらトイレや食事のことも気にしつつ、ひたすらに目的地を目指す。とてもお金が少ない人や、まじモンの電車好きでないとなかなか選ぶことのない選択肢と言えると思います。
電車系の雑誌では意外によく特集を組まれてるんですよね。Kindle Unlimitedで読みましたけど、おもしろいです。(貼ってる本は読んでないですが笑)

青春18きっぷの教科書 (旅鉄BOOKS) [ 「旅と鉄道」編集部 ]

価格:1,760円
(2020/2/25 00:05時点)
感想(1件)

この話とはスケールが違うのですが、確か落合陽一さんは短距離の移動はほぼタクシーを使うと言っていました。その理由が、移動時間も仕事の時間に充てられるから、とのこと。確かお金があるから、という理由ではなく、その移動時間を買って仕事に充てたほうが損益で考えるといいという判断をされていました。
落合陽一さんの本はこの本を読みました、「人種的に閉鎖的な日本での人口減はイノベーションの大きなチャンスだ」という考え方はとても勉強になりました。こちらもKindle Unlimitedで読めます。Kindle Unlimited、お勧めしなきゃ

日本再興戦略/落合陽一【合計3000円以上で送料無料】

価格:1,540円
(2020/2/25 00:06時点)
感想(0件)

お金があればみんな時間を買うだろうか?
こんな話をすると、お金があればみんな快適で時間を買える飛行機とか新幹線を選ぶに決まってるじゃん、なんて思いますか?皆さんの実感から言っても、それはNoだと思います。あの人いっつも飛行機乗るなーとか、どこでも自動車で行くなーとか、はたまたあいつまた在来線ひたすら乗ってるよ…みたいな人もいると思います。
何故か?それは、単純に飛行機が好き、自動車を運転するのが好き、電車に乗るのが好きという好みがあるからです。人間である以上、合理的な判断だけではなく、個人の好みなどの影響を受けて判断をするわけですね。もっとも、個人の好みなんてものは結局マスコミをはじめとした社会からの影響によって規定されている、なんて考え方もできるのですがそれはまた別のお話。ただ、今回お話ししたいのはその点でもなく、「めんどくさいことを楽しむ」ことだって価値があるのだ、という話です。

手間を楽しむ人
先ほどの例で言うと、自動車を運転する人は何故運転が好きなんでしょうか。それは単純に運転のスキルがあって、速く目的地につくことを目標として楽しむ人が多いかと思いますが、そうじゃない人もいませんか?ずばり、目的地までのルートを考えるのが好きな人です。どの高速を使えばいいだろうか、どうすれば渋滞を回避できるだろうか、はたまた極力コスパの良い道でなおかつスムーズに行くためにはどの区間であれば高速に乗らないほうがいいか、なんて考えるのが好き、なんていう人も皆さんの周りにいませんか?
同じことが電車好きにも言えるんです。何より自分自身がそういう人間なのですが、どこの駅で乗り換えるべきだとか、どこの駅で乗り換え時間があって、この駅にはどういう駅弁があって、はたまたここの駅では途中下車してこんなところにも寄れる!なんていうことを考えるのがたまらなく楽しいのです、妄想だけで終わってしまうことも多々あるのですが、自分で行ってみたり、友達にそのルートを提案してみたりと、その手間を楽しむことが好きな人にとっては、いくらお金があったとしても時間を買わず、手間を楽しむという判断を取ることがあります。その他にも、車窓から眺める景色が好き!なんていうのも、移動にかかる時間(お金で買うことができた時間)を楽しんでいる例の一つですよね。
そういうこと、つまり時間を買うのでなく手間を楽しむという考え方に気付いたのは海外旅行の行程を自分で組んだ時です。旅行代理店に任せればいいプランを安い値段(レベルにもよりますが、自己手配の方が高いなんてザラにあります)で提供してくれるわけです。ただし、安いのはパッケージ化されているからでもあり、十分に自分の楽しめるルートになっているかはなんとも言えません。一方で自分で手配するのは一から行動を考えて、宿を考えて、切符も自分で買って…と大変時間がかかりますし、時間を含めたコスパで言ったら圧倒的に劣っています。それでも私は自己手配した旅行はいろいろあったものの、とても満足のいくものとなりましたし、その手間を十二分に楽しむことができたと自負しております。
ちなみに、こんな本もあります。読みたいなぁとずっと思っているのですが、読めないまま1年以上経ってしまっている…

ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか? ~不便益という発想【電子書籍】[ 川上 浩司 ]

価格:1,485円
(2020/2/25 00:07時点)
感想(0件)

なんの話だっけ?という感じですが、移動時間を例にして考えた場合、以下のことが言えるのではないでしょうか、という話でした。

  1. 将来の時間を買うことはできる
  2. ただし、誰しもがお金を払って時間を買うというわけではない
  3. 移動にかかる手間を楽しむ人は、お金で時間を買うよりも手間を楽しむ選択を取りうる

なんつってる間にもう連休最後の深夜ですよ。これ会社勤めの辛いとこね。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村