思ったことを認(したた)めるブログ

日々暮らす中で思った、ちらしの裏に書くようなことを書いていきます。

アクションの本質は何なのか?〜PCR検査数に思うこと〜

ちょっと仕事が忙しかったりしたこともあって、だいぶご無沙汰になってしまっていますが、あいも変わらずどうでもいいことをあーでもない、こーでもないと思いながら生きています。

さて、今回の話題は標記の通り「何かアクションを起こす時には、その本質を捉えなければならない」という話を、今流行のコロナウイルスで自分の考えを整理するついでにまとまりのない文章にしてみようという試みです。久しぶりにお酒を飲みに行って帰ってきてからの記事なので、グッタグダになるかもしれませんが、何卒ご容赦を。

 

PCR検査数が少なく、コロナ感染者も少ない日本

以前(?)、Twitterでこんな話が流れていました。

「PCR検査の質が低い」だのよくわからないことを言っていたコメンテーターもいましたが、それは論外として、実際、以前からPCR検査の少なさを嘆く声は聞かれていたかと思います。もっとも、人口あたりの死者数や感染者数などを見てみると決して多くないどころか、世界トップクラスの少なさを誇っています。(もちろん、公表している数字がどの程度信用できるのか、という話はありますが、そんなことを言い出すとイデオロギーの話になるので一旦無視しますね。)
あと、個人的に気になったことは、FIFAのランキングを持ち出した意味がよくわからない、ということですね。これは完全に穿った見方と思いますが、「どこかよくわからんけど先進国と言われている日本がアフリカの国に囲まれている」というニュアンスを含んでいるように感じられ、逆説的にアフリカをはじめとした国を馬鹿にしているのでは、なんていう風に感じてしまうこともあるのです。重ねて言いますが、これは個人的な感想で、偏っていることは重々承知です
と、いうことでまず確認しておきたいことは、日本は

  1. 人口あたりのPCR検査数は少ない
  2. 人口あたりの死者数や感染者数は少ない

というこの2点は「事実」であるとして話を進めていきたいと思います。

 

PCR検査数が少ない、から何なのか?

これまた前述のツイートを引用RTしたものです。

このツイートを見た時に、「確かにそもそもの問題定義が曖昧だな」と感じました。「検査数を増やせば臨床に割けるリソースが減るではないか」という視点や、「そもそもの医者の数が足らないんだよ」と言った意見、「陰性が出てもその後の再検査で要請が出るパターンもあるらしいよ」なんていった話についてのスタンスは色々あるかと思いますし、自分自身全然勉強しているわけでもないのでここで結論は〜だ!みたいな話はできません。
でも、そもそもの話、考えてみれば「PCR検査数が少ない」ことが問題なら、「PCR検査数を増やすこと」がゴールであるという話なのでしょうか。極端な話にはなりますが、PCR検査数が増えれば、コロナ感染者、死者がふえてもいいということになるのでしょうか。そんなことは決してないはずです。私たち全員が目指すべき姿は、「コロナ感染者、死者が少ない日本」であって、「PCR検査数が多い」というのはあくまでもその通過点、いや、もしかしたら通過点ですらないのかもしれません。

 

じゃあなぜPCR検査が必要なのか?

では反対にPCR検査なんてどうでもいいのか?そんなことも決してないはずです。PCR検査を行い、コロナの感染者数を算出することはこれまで日本がとってきた対応策の効果検証と、それを生かした次なる策の検討するために不可欠なことです。いわゆるPDCAサイクルのCheckの部分に当たるわけですね。
その意味では、選挙速報*1と同じで、PCR検査を全国民に対してするというのはそこまでリソースをさくべきことなのか、と個人的に感じます。もちろん、心理的な安心を得ることができるというメリットがありますが、7割という精度をどこまで信用するかという問題がありますし、そもそも金銭的な話だけでなく人的なリソースをそこまで割く価値があるのかという意味*2でも、私は「PCR検査数を増やせば増やすほどいい」とは思っていません。
*1:東京都知事選の時に選挙速報であんなに早く当選確実が出るなんておかしい!民主主義を侮辱している!(後半部分はうろ覚えですが)なんて言っている人がいましたが、それこそ統計学に対する侮辱じゃねえか、と思いました。
*2:例によって個人的な感想ですが、「金銭的なリソース」と「人的なリソース」、「時間というリソース」は全て有限であるということを分かっていないのでは、あるいはその重要性がある1つに偏りすぎじゃないのか、と思うことが結構多いです。特に日本人がよくいう「日本企業の悪いところ」でよく出てくる話は、「金銭的なリソース」を変調しすぎて、「人的なリソース」、「時間というリソース」でカバーしようとしているから発生しているのでは?と思うことが多いです。

 

その指標は「パフォーマンスの評価」なのか、「頑張ったかどうかの評価」なのか

結局、「PCR検査数が増えた=これまで以上にリソースを割いて頑張ってくれた」となる可能性もなくはない、ということです。私たちが目指すべきゴールは「コロナ感染者数、死者数を減らすこと」であり、「PCR検査数を増やすこと」というアクションが「コロナ感染者数、死者数を減らす」ことには直結しません。
あくまで「PCR検査数を増やすこと」は「コロナ感染者数を減らすためのアクションを練るためのチェック機能を強化すること」でしかなく、それ自体をゴールにすることが本質なのか?ということを考えなければなりません。この点で必要以上にすれ違ってしまっているのではと感じることがあります。

話がめちゃくちゃになってきたのでここらで終わりにしたいと思いますが、こういった現象は大小あれどどこでもあることだと思います。
今やっているアクションは何のためにやっているのか。
そのことをきちんと問うていかないと、目的(ゴール)に向かって直行できなかったり、議論している人の間でもすれ違いが起きてしまうのではないでしょうか。
最後の最後に前の記事と似たこと言ってるなと思ったので、リンクつけときますね。

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