思ったことを認(したた)めるブログ

日々暮らす中で思った、ちらしの裏に書くようなことを書いていきます。

幸せのハードルを下げる

気がついたら3月も終わりかけなのに記事を全然書いておらず…。特段忙しかったわけでもないと思うのですが、まぁ色々と忙しかったのかもしれません。ということで、3月2本目の記事。今回は、タイトルの通り、「幸せに感じるハードルを下げたらもっと幸せになれるんじゃねえか」というお話をば。

何に幸せを感じるか
現代の人は常にストレスに晒されていて、特に日本は幸福度の低い国と言われますよね。そんなグローバルな視点でなくても、昔友人だったあいつは楽しそうなのに、とか、あいつは俺の何倍も給料をもらっていて、とか、はたまたあいつはもう結婚して子供もいて、なんて他社と比べて自分の不幸(不徳?)を嘆く人が多いのではないでしょうか。かくいう自分もそんな気持ちになることなんていくらでもあるのですが。でも、これも以前の記事で書いた通り、例えば「年収」という物差しであったり、「友人、配偶者の数」であったり、そういった指標の中で勝手に幸せを定義をして、それに応じてランキングをつけているだけなんですよね。結局、そんなふうにランキング付けしていっても自分は絶対一位にはなれないし、自分の人生の幸福度が「収入」「友達の数」なんていう指標ではかられるようになってしまうと、その指標に振り回されるような人生になってしまうのではないでしょうか。
もちろん、その指標を持って生きていくことは何にも否定されるべきことではありません。少し幸せから話はズレますが、勝負する土俵を変えればいいのです。例えば、東進の林修先生は自分はジャニーズには入れないが、現代文の先生としてならトップになれると考えて実際にトップ講師に上りつめ、一発屋として終わらずに今でもテレビに出ておられるし、確か武井壮さんだったと思いますが、サッカーではサッカー選手に勝てないし、野球では野球選手には勝てないけど、自分で勝負する種目を選べるならどのアスリートにも負けない、といった旨の発言を(確か)されていて、実際に野球やゴルフだけでなく、ビリヤードなど様々なスポーツに挑戦されております。そのように、自分の特性に応じて勝算の高い分野で勝負する、というのは立派な戦略だと思います。

自分なりの幸せの指標を見つける
でも私は彼らのように才能があるわけではないし…とおっしゃる方、まったく持ってその通りです。才能の有無もそうですが、そういった能力を身につけるには途方もない努力が必要となってきます。もちろんその努力ができる人なら挑戦すればいいですが、それで燃え尽きてしまっては本末転倒です。では、なぜ私が上記の例を出したのか。それは、「フィールドを自分で選べる」という点が重要なのです。自分の幸せの指標くらい自分で決めろ、という話です。いくら年収でマウントを取られたり、所帯持ちが幸せという価値観を押し付けられたところで、自分の中で「これがあれば、これを達成できれば幸せ」という指標を作ればいいだけの話です。そして、それは決してレベルの高い幸せではなく、「今日は信号に止まらず駅まで行けた」とか、「今日は寄り道せずに浪費もせずにまっすぐ家に帰ってこられた」とか、そんな小さなことでも幸せに感じることができれば世間の幸せのマウント取り合戦から離れて、自分なりの幸せをつかむことができるのではないでしょうか。
こんなに偉そうに話をしていますが、私自身も周りの人の会社の待遇の良さや他の人の才能や人柄に嫉妬することももちろん多々あります。人間は社会的な生き物である以上、他者との比較の上で自己を評価するものですので致し方ない時もあると思います。そんなときにこそ、「卵焼きが上手に焼けた」とか、「そもそも自分で料理するなんて天才かな?」なんて自分で勝手に幸せを定義しちゃうことで、自分自身を騙すように意識しています。そういった考え方をするのがとても上手なのがTwitterで活躍されている「プロ奢ラレヤー」さんだと思います(彼を批判する人も多々いますが、実際に彼に奢ることに価値を感じる人がいるわけなので何一つ批判されるものはないと私自身は思っています)。彼はよく舐め腐ったように感じる口調で色々発信をしますが笑、その中身は大体「現実大肯定」で、「起きて寝てえらい」「それだけでなく、出勤までしてすごすぎる」といったようなことを発信しています。彼が大好きなキャラクターのコウペンちゃんも、「かわいい」という理由だけでなく、彼と同じく現実大肯定のスタンスを持っているからなのではないか、と思っています。

「隕石が降ってこなくて本当ついてた」
こんな考えを至るのに大きな影響があったのが「あんハピ♪」というアニメだったと思います。とにかく不幸体質の主人公を中心に色々ある作品なのですが(ストーリー自体はあまり覚えていない笑)、その主人公は全くその不幸を嘆くことなく、むしろ楽観的に物事を捉えるのですが、その様子にとても元気をもらった記憶があります。その主人公のキャラソンで出てくる歌詞が、「隕石が降ってこなくて本当ついてた」。いやいや、不幸の比較対象がおかしくない?!と思ったのですが、主人公の幸せの価値観の置き方がそこにある以上、彼女にとっては隕石が落ちてこないだけで幸せなわけですね。彼女は不幸体質ということで、数多くの不幸に見舞われてきたことで、ちょっとやそっとの不幸は不幸と思わず、むしろちょっとしたことにもラッキーを感じるわけですね。大体成功者の人たちが幸せを感じやすいのは、実際に金銭や名誉を得ているということもあるでしょうが、そこに至るまでに経験した不幸やアンラッキーがあるからこそ、ちょっとしたことにも幸せを感じるからなのかなぁなんてこの記事を書きながら考えていました。

 

ということです(どういうことや)。私は意識低めを地でいくので、自分で勝手に幸せを定義して、勝手に幸せになれるように頑張ります。もちろん他の人に迷惑をかけないレベルで。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村