思ったことを認(したた)めるブログ

日々暮らす中で思った、ちらしの裏に書くようなことを書いていきます。

エンゲル係数は本当に貧しさの指標か?

前回、幸せの話をしたので今回もそれに紐づいたお話を書こうと思います。具体的には、誰しも同じことをしていても、人によってその捉え方が違えば「最低限やるべきこと」なのか、あるいは「その行為を通じて幸せを得られること」なのか、大きく違ってきますよね、というお話です。

貧しさの指標、エンゲル係数
エンゲル係数とは、家計の消費支出に占める食費の割合のことということは割と有名で、ご存知の方も多いと思います。この値が大きいと、消費支出に占める食費の割合が大きい、すなわち食費が家計を圧迫していて貧乏だという捉え方をする方が多いのではないでしょうか。
この考え方において重要な点は、食事が『生命維持において』食事を節約することは、その他嗜好品などに費やすお金を節約することに比べて困難である、という点だと考えます。すなわち、食事=生命維持であるという考えではないでしょうか。生命維持という観点では、衣食住が重要視されると思いますが、衣は常識の範囲内で極限までコストカットできるものの、食は前述の通りギリギリまでのコストカットは難しく、また住まいも家賃を極端に減らすことは難しい、もしくはそれに伴って著しくQOLが下がってしまい、結果として生活コストを高めてしまう危険性があると思います。

そもそも食は生命維持のための行為なのか?
もちろん、食べなければ生きていけることはできませんので、最低限の食事を取る必要はあります。ですので、1ヶ月1万円生活でもないですが、食費は最低でも月にいくら以上必要、みたいな指標はあると思いますし、実際に調べてみても各年代の平均的なエンゲル係数はすぐにヒットします。
しかし、考えてみてください。皆さんは食事を「生命維持に最低限必要な行為」ととらえて行っているでしょうか?決してそんなことはないのではないでしょうか。お昼ご飯を食べに行くときにはネットで美味しいお店を探すし、デートに行くときは雰囲気のいいお洒落なお店を探して窓際の席を予約したり、はたまた糖質ダイエットをしているからとプラス料金を払ってご飯を豆腐に変えてもらったりと、食事を「生命維持に最低限必要な行為」ととらえていればなんと非合理的なことをしているのか、と思いませんか?上の話で言えば、食事はただ栄養を取るという行為ではなく、人によって楽しみやコミュニケーション、はたまた自己研鑽につながるような意味をも持つ行為ではないでしょうか。
そう考えると、一概にエンゲル係数を貧乏さを測る指標とするのはおかしいということに気づくのではないでしょうか。例えば、最低限命を維持するためにかかる食費が2万円だったとして、人付き合いのために使う食事代が1万円、月に一回のご褒美ディナーが1万円とすると、2万円は生命維持ではなく余分に払っている食費ということになります(もっとも、付き合いでの食事代は交際費とカウントする人もいるかと思いますが)。逆に、食費は最低限の2万円しか使わず、本がとても好きで月に2万円分も本を買ってしまう人もいると思います。昔そんな公務員アニメがありましたね…。その場合、エンゲル係数で比較すると前者の方が貧乏と判定されかねませんが、中身を見てみると決して一概にそうとは言えない、ということがわかるのではないでしょうか。
この辺りは以前書いた、ランキングの話にも似ていて、どういう構造でそのデータが算出されているのか?を知っておかなければミスリードになる、というお話にもなりますね。

余談:貧乏人は痩せている?
余談ですが、今時の貧乏な人は一昔前みたいなひょろひょろの人という一様なイメージではなく、安価でお腹いっぱい食べられるものを食べているからむしろ太った人なのではないか、と考える人もいるのではないでしょうか。アメリカ人に肥満が多いのは食文化だけではなく、そういった側面もあるのではないかと思いますし、日本で暮らしていても牛丼チェーンの安い牛丼はお米がこんもりもられていて、いかにも糖質過多な食事ではないかと感じています。
反対に、糖質制限をはじめとしてダイエットに勤しむ方はただ食費が減るというのではなく、これまで摂取してきた安い炭水化物をその他に転化させているだけであって、むしろ食費が増えているのではないでしょうか。というか、これは完全に自分自身の経験からの話で、本筋で話していた「ご飯を豆腐に変えると金がかかる」というのは意外に大きい出費になってるんですよね。牛丼買えば安いのにライザップ牛丼、牛丼ライトを頼んじゃったり。

まとめ

ということで、個人的にタイトルの疑問に対する答えはNoです。なぜならば、食事は「生命維持に最低限必要な行為」だけではなく、「楽しみやコミュニケーションとしての行為、すなわち嗜好品的な価値も含む行為」であるため、食費だけをもってして貧乏か否かの指標にするにはあんまりではないか、と考えているからです。
食事という行為に限らず、日頃の行動や購買活動は自分でも気付いていない意外な意味があったりするのではないでしょうか。そういったところをくすぐれるマーケティングが今流行の(?)消費者インサイトを見抜いたマーケティングと言えるのかもしれませんね。

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